<<楽しかった小学校時代>>
ぼくは、4年生になって少しすぎた時に入部しました。
4年生の時は学校の中でクラス対抗のサッカーの試合をやっていて、
山口君と同じチームで優勝しました。その時のぼくは負けず嫌いだったので、
山口君に負けるのがとてもくやしかったので、それをきっかけに入部しました。
ぼくは、どちらかと言うと最初は上達が早くて、そしてだんだんおそくなる方でした。
そして初めての合宿での思い出は、1500メートルがすごくしんどかったことです。
走った後は、かかとやももとか、そこらじゅうが痛くてしんどいし部屋にもどるとくたくたでした。
そして初めての試合ではトップをやり初得点ですごくうれしかった。
二度目の合宿ではファミリーごとに試合をして、ぼくは中西ファミリーでした。
たくさん勝つことができなくてくやしかった。
それからサロンフットボール大会で長野県に行きました。
ぼく達は最初Aチームのはずだったけど、Aチームを6年生だけにしてBチームになりました。
その時6年生は予選リーグを勝ち抜いて決勝トーナメントに進み1回戦で負けてしまいました。
それで僕たちBチームは、予選リーグの決勝で、
去年の優勝チームの富士第一3−1と負けてしまいました。
そのときぼくはキーパーをやっていて、メチャクチャ怖かった。
特に公志君はきき足と違う左足で、火傷みたいになった左足、
火傷みたいになった足で1点を入れてくれました。みんなのワンツー!も
すごく思い出に残っていまっす。
それでぼくはセービングをしたけど取れなくて足首をいためてしまいました。
試合には負けたけど、ぼくたちの試合内容がよかったのと、
Aチームが決勝トーナメントに出れたのですごくうれしかった。
その他に坂本君がボールを当てられたりしても、がんばってやってくれてうれしかった。
そしてその夜の風呂で、公志君がけがをした足をお湯につけずに入っていると、
かんとくさんが「ほんなもんだいじょうぶや」と言って、公志君の足をドバ!とお湯につけて、
公氏君が「ウオー・・・」とさけんだのがおもしろかった。
そして6年生のだれかが、お母さんはやまんばと言ったのが、すごく話題になりました。
1982年 松木尚之 6年生
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