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 <<日本一のストライカー2>>

 

さて、講演の話に戻りますが、ぼくは実際に目の前で釜本さんを見るのは初めてなので、

早めに開場へ行って前の方の正面に陣取りました。

そして始まるまでの間はまるで試験が始まるのを待っている受験生のような気分でした。

いよいよ釜本さんが登場です。釜本さんはスーツを着てらして、

体格的に目立つところもなく、ごく普通のサラリーマンと言った感じでした。

紹介の後なぜこの大学で講演することになったかと言う話から始められました。

釜本さんは、うちの大学のサッカー部の監督さんと高校時代に一緒にプレーされ、

監督さんは釜本さんの先輩に当たると言う事でした。

だから、先輩である監督さんから来いと言われれば、来なしゃないと冗談混じりに言われ、

話は大学時代の後輩としての苦労話に移っていきました。

大学時代釜本さんは、ほとんど授業に出なかったそうです。

練習が辛くなるとよく授業に行くと言って練習をサボったそうです。

すると先輩から怒られ、ええと言うまでグランドを走れと言われて走っていると、

先輩は忘れてしまって帰り、夜まで走ったことがあったそうです。

また、夜中に酒に酔った先輩に起こされて、

無理やり練習させられて気がつくと先輩は部屋で寝ていたとか・・

僕も経験がありますが、先輩と言うのはもの凄く権力を持っていて、

中学生の頃によくボールをなくして走らされたりしたものです。

 

次に200ゴールについてですが、釜本さんは昨年度以前の日本リーグで190ゴール

をマークされており、200ゴールへあと10と迫っていました。

前期のうちにも前人未踏の200ゴールが達成されるかと期待されたんですが、

チームの不振などで2ゴールのみにとどまりました。

前期終了後、友人3人と酒を飲みながら、200ゴールのことを話したそうです。

友人はみんな今シーズンはちょっと無理だろうと言ったそうです。と言うのは、

1試合1点ずつくらいにゴールしていかなければいけないからです。

こう言われた釜本さんはムカッときて・・よし!それなら賭けるかと言うことになり、

大賭けしたそうです。結果は見事200ゴール達成。

なぜ、200ゴールできたかと言うことで、釜本さんはさかんによいパートナー

がいたからだと言われていたが、僕に話せれば、釜本さんが凄いから

よいメンバーが集まってきたと思います。

また、高校時代お前は点を取る事だけ考えろと言われて

25年間ずっとそれをやってきたから、できたんではないかと言われました。

最も印象に残っているゴールはと言うと、

メキシコオリンピックの3位決定戦の時の1点目だとよく言われるが、

実際はムルデカ大会の二つのオーバーヘッドシュートだそうです。

と言うのはメキシコの時のシュートは、自分の意思に反して、

たまたま入ったからだそうです。ムルデカの一つは、

胸で1回止めてからのオーバーヘッドシュート二つ目は直接のオーバーヘッドキック。

今でも大会最高のシュートと言われているそうです。