母の支え・・・・・
例年の暑さを超える夏休みになりそうですね!各学年の
個人的な成長度をひと夏過ぎの学校が始まるころを楽しみに
したいのですが、どれだけ一生懸命になってサッカーに夢中に
なれるかのバロメーターは、3年生以下は、ボールリフティング
に尽きます。特に3年生は学年的なレベルに達していない
ので、クラブ始まって以来初めてと言って良いほど、
サッカーボールになれることを目標とした試合を組みました。
この炎天下での試合には熱中症と言う危険が伴うのですが、
ADの3年生もそうでない3年生も殆ど変り映えしないので、
本当の意味でサッカーが好きになって欲しいと思っています。
ご家族での何らかのサッカーに関連した遊びとかJリーグを
観戦に行くとか、サッカーに真に興味が持てるような試みを
期待しております。
小学生として最後の夏休みとなる6年生にとって、この休み
期間は自分が少しでも変われるきっかけをつかんで
ほしいと考えています。例年この夏を過ぎるあたりから
体がグーンと精神的にも体力的にもアップするはずですが、
将来的な夢や希望を現実的に考え始める時だと思って
います。自分自身のサッカー感を友達に知ってもらったり、
また聞いてあげたりしながら、少しでもサッカーに関われる
時間を持てることが、上を目指せるきっかけとなってくれる
ことを願っています。私事で恐縮なんですが、私が4年生に
なったころに 「しょうこう熱」と言う感染病にかかり、兄妹で
3か月間隔離病棟で過ごした経緯があります。当時は近隣の
友達の家はもちろんのこと、学校にまで病院関係の方が
消毒に走り回っていたのを薄らと記憶しています。
当時の私の夢は「漫画家」になることしか頭にありません
でした。しかしながら大きく方向転換をもたらしてくれた
事件が起きました。東京オリンピックでの日本チームの
活躍と、アルゼンチンのロベルトペルフーモ―と言う選手が
オーバーヘッドキックで得点したシーンをテレビで見てから
毎日寝付けなくなり、マンガにできない悔しさから実践して
みることになったのが、サッカーとの出会いとなり、強烈な
夏休みのきっかけとなりました。退院してからはマンガからは
少し遠のくことになりましたが、学校に顔を出してからは
酷い差別待遇にあいました。感染病という事もあり机も
一人で座らせられただけでなく、離れてすわっていました。
しかし気に留めることもなくひとりサッカーが始まる
のでした・・・・・・・・。強烈なサッカーとの出会いと、
自分が変われるきっかけだったように思います。生活は
自分達の病気のお蔭でどん底にまで下って行った
のですが、サッカーに関する情報を聞いては、母親が
実業団の試合を一緒に観戦に連れて行ってくれたことも
ありました。野球しか娯楽番組がなかった当時は、皆が
プロ野球選手を夢見ていた時代なので、
サッカーなんて・・・? 歩む道を決めるのは
自分の足と魂だと! 時代錯誤かも知れないですが、
当時の母親の支えがなければ今の自分はなかったと
思っています。小さいころのマンガ家としての夢は妹が
継いでくれたのですが、やっぱり母親の支えなしでは
なし得なかったと思っています。
想い出に残る夏休みになれば良いですね!
監督 横谷義信
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