サンクラブの思い出
小倉小学校 卒 廣岡 稔也
ぼくが、サンクラブに入ったのは、4年生です。てっちゃんやりくが、
教えてくれました。でも、最初は「中宮」とまちがえたりもしました。そして、
サンクラブの練習に行ってみると、そこには、ようちえんが同じの秋月君もいました。
そこで、最初に友達になったのが、迫君でした。その時は「君、何ていう名前」?
と積極的に聞いてきたときが、すごく思い出に残っています。初めての合宿では、
大山のきもだめしが、すごくこわくて泣いているぼくを涼君が、なぐさめながら
いっしょにきもだめしにいっていると、最初のおどかし役の、石本コーチにおどろかされ、
両方泣いたのが、すごくいんしょうに残っています。
5年生で、一番心に残っているのは、全日です。6年生が4人だったので、
その代わりに出たのが、当時、4年生の大弥、瑠偉、小場、りく、てっちゃん、直哉、
祥次郎でした。ここでは、勝ちのけいけんより、負けのけいけんも必要ということが
わかりました。さくらカップ。これは、ダイナマイト試合?というので勝利したのを
覚えています。みんなでした「花見」も、とても楽しかったです。
そして、6年生。5年生のころには、行けなかった「Jグリーン」で試合が出来た。
リーグ戦では、一度は2部リーグに下がったけど、1部リーグにもどることができた。
ファイナルカップでは、優勝することができた。この1年ですごい成長したなと、
すごく感じます。ぼくが、サンクラブにいたのは、チームの中で一番短い2年間。
気ずけば、とても短かったように思います。色々とチームも変わったけれど、
最後まで無事に終えることができて本当にうれしいです。
チームメイトや、コーチ、かんとく、支えてきてくれた人に感謝したいです。
ありがとうございました。
最初は、おとなしくて、どこにいるのかわからないくらいでしたが、合宿で一度に
みんなと仲良くなったので、合宿の効果ありありでしたね。みんなと学校が違うので、
少し心配でしたが、お父さんが卒業する最後まで見守ってくれましたが、
大変なことだと思います。5年生の終わりごろから力をつけてきましたが、
練習以外でも、仲間をたくさん作れたことが、君にとっての宝物かも知れません。
中学生となって、楽しみから競争意識が芽生えてくることと思います。
10年後の君に会いたいです。
短い間でしたが、これからの君に期待しています。
監督 横谷義信 |